「岳」を読んで

石塚真一作画 「岳」

ビッグコミックオリジナルに掲載されていた漫画です。登場するのは北アルプスを中心とした山岳とそこに魅了された山好きの人たちの物語。
小栗旬主演で映画化をされており、山に登る人たちのほぼ100%の人が知っている漫画だと思います。
この「岳」の中で特に好きなエピソードが第一巻に掲載されている「遠くの声」です。

詳細は書けませんが、あらすじは次の通り

北アルプスの常念岳で遭難した父と幼い子供。道迷いと怪我で身動きがとれず、何日間か食事もとれていない。残酷な運命の前に弱々しく死を覚悟する父親。
しかし、子供はお母さん(かなり前に病気により故人となっている)との「困ったときはお母さんを呼んでね」という病院で交わした約束を信じている。
彼方の空にいる母親に「おかーさーん!おかーさーん!」と声を届けようとする子供のひたむきさに、生きる気力を取り戻した父親。
そんな二人の前に現れたのは!!

いや・・これ号泣もんです。買う前に本屋で立ち読みしていたので、ぐっと来た瞬間、やばいと思って、思わず本を戻して、メガネを拭くふりをしてごまかしました。
このエピソードでは、主人公三歩と仲間たちの山のスキル(頼りがいあるんです。この仲間たちも)と、三歩の他のクライマーに対する優しさがクローズアップされています。
短い一片の話ですが、一切の無駄のない珠玉の短編です。

エピソードの最後に、三歩とその仲間の会話のやりとりの中で、三歩たちクライマーの持っている影の部分に焦点が当てられます。クライマーが、普通の人たちと違うのは、彼らが(彼女たちが)普通の人より、少しだけ死に近いところにいるということでしょうか?
よく、登山家はなぜ山に向かうのか?という質問がしばしば取り上げられます。明快な解答を持つ人、持たない人、また登る理由が人それぞれであったとしても、山に登っている人は、山に登っている人達にしかわからない感受性を刺激されているような気がします。
そして、その感受性は無意識にそれぞれの人生観に影響を与えているのではないでしょうか。

もちろん山に登る人が登らない人より、人格が高尚だとか高潔だとかということは決していうつもりはありませんが、山に登れば、空や雲や、木々や、花や月を下界よりは少しだけ美しく目にすることができます。また、下界では気づけない自然の大きさにたいして人間の小ささ、弱さを自分自身の体を通して知ることができるのも山です。

自分の体を媒介にして、ほんの少しだけ自分や世界、自然や人間のことを考える機会を山は与えてくれているのでしょう。そのために、少しだけリスクを受け入れる。それがクライマーなのです。

それを具現化してくれているのが「岳」の主人公、島崎三歩であり、「遠くの声」で三歩が見せてくれた優しさに繋がっている・・・・そんな気がするんですよね。

まだ岳を読んでいない方、機会があれば、岳の第一巻手に取ってみてください。
屈託のない笑顔で子供に向き合う三歩。きっと好きになりますよ。

追伸 立ち読みはグッと来ると危険なので買って読んでくださいね。(^^)

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